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微妙

 きょうは微妙だった。まだもうちょっとやるけど眠い。

 

 北方謙三さんのインタビュー動画について、触れようと思って忘れていたことがあった。

 小説を書いて、それがほんとうに伝わる相手は、たったひとりかもしれないという話。これは、ものすごく感心した。

 というのも、ぼくの恩師が昔、まったく同じことを言っていたからだ。たしかどこかでエッセイ風に書いたと思うけど、彼は教師で、ぼくに英語を教えてくれたひとだ。

 その教師が、授業ちゅうにふとこう言ったのだった。

「俺は、俺のする話は、ここにいる人間の1/100... いや1/200にも伝わらないと思っている。俺が"本当に言いたいこと"は、100人や200人に聞かせたときに、たったひとりしか伝わらないものなんだ。それは俺がいい悪い、お前らがいい悪いじゃなくて、ただの実態として、免れ得ない法則としてそういうものなんだ」

 当時、ぼくはこの言葉に衝撃を受けて、以来、とても長い座右の銘のようなかたちとなって記憶した。

 言葉というものは、ぼくの抱く「本意」が翻訳されて出力された結果に過ぎないから、その本意が真に伝わることはない。どれだけ高い精度で「本意」をイミテーションできたとしても、それはやはり、精度の高い真似であって「本意」ではない。

 もっとも、自分が知覚し、構成していると認識する世界は、すべてぼくの語彙によって形成されている以上、言葉として完全に置換することは理論上可能であるのではないか、という指摘は考えられるわけだが、それについては、「本意」が意識の上だけにあるものではないかもしれないし、おそらくそうだろうと考えているという意味で、否定できる。

 ゆえに、ぼくは1/100や1/200といわず、1/1000や1/2000でいっても、伝わらないものだと思っている。

 なにより、これは受容する側に、自分とほんとうに近い波長を求める。だから、こちら側の努力だけでどうにかなるものでもない。ようは、伝わる人間には伝わり、そうではない人間には伝わらないということだ。

 小説もべつに、伝わっていないと思っている。けっこう本気で、ぼくが書いて言いたかったことは、ほとんどだれにも伝わっていないと思っている。それはぼくにかぎらず、多くのひとがそうだと思う。でも、それでいいのだと思う。

 だからといってべつに、壁に石を投げつけるだけの行為をやめる理由にはならないからだ。