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humankind

 オランダの歴史家ルドガー・ブレグマンの著作Humankindを、そろそろ読み終わる。

 すばらしい良著だった。日本語訳されたタイミングでさっさと読んでおけばよかったと思うけど、2年遅れなのでぼくにしてはまだ追いついているほうだともいえる。

 ある程度勉強のノートも書いた。空襲が敵国の士気をくじくことはないという話から、本当の蠅の王の話、ホッブスvsルソーの話、ほとんどの兵士は戦場で引き金をひけない話、イースター島の話、利己的な遺伝子の話、スタンフォード監獄実験の捏造の話、ミルグラム実験の捏造の話、権力腐敗の話、ティール経営の話、93年の南アの話、どれもとてもよかった。

 ただ、いちばんよかったのはこの本そのものといえるテーゼだったと思う。さらにおもしろいことに、象徴的なワードが本著のなかでも記されていた。ブレグマンは、ただ事実だけをみるように、希望的な観測は事実にはいらない、という主張をしていたバートランド・ラッセルを尊敬しながら、ラッセルがその論を否定していたウィリアム・ジェイムズの発言「信じる意志」にこそ近しい理念を、本著のなかで述べている。

 ブレグマンの論には、根底に通じるひとつのテーマがあった。それはプラシーボ効果とノセボ効果で、「ひとが信じたことが現実となる」というものだ。彼の場合、れっきとした社会科学者でもあるので、それをただの祈りとして処理せず、実際にどのような理念が、どのようにして現実に反射したかということを、数々の事例とともに挙げている。

 ただし社会科学というものは、その性質上、一種の傾向というものを示せはするが、自然科学とは違い、完全な再現性は見込めない。つまり社会学において未来に言及することは、有意といえる補強がされながらも、どうしたって「希望を持った観測」としての性質を免れ得ない。言い換えれば、祈祷行為としての性質から脱却できない。

 おもしろいのは、だからこそ、ブレグマンは希望を持って社会をみるようにという主張をおこなうことだった。つまり、これは回帰的な理論でもあるといえる。本著の副題がA Hopeful Historyなのは、そういうことなのだと思う。

 ブレグマンの論が、理論上可能なかぎり科学的だったのはたしかだ。ラッセルの教えを守り、事実だけをみるように注意してきたブレグマンの指摘は、しばしばルソー的世界観がそうみなされるように、希望的ではあれど楽観的ではない。結局のところ、ブレグマンはよく研究していて、数値にあらわれるデータや明白なソースのある事象を論拠にしている。

 締めとしては閑話休題的となるが、世界観という言葉は、ブレグマンのような研究者にふさわしいと思った。ブレグマンのみならず、なにかしら真理をみつけようとする人間には、一定の世界観が宿るようだ。それは世界に目線を向けて教条、教訓を見出そうとする、つまりはなにかしら意義のある物語として捉えようとすることから、小説的であるともいえるように思う。

 人間、ある程度生きていると、世界とはこういうふうにできているのではないかと思うことがある。その構造が比較的単純であるか、比較的複雑であるかは個人によるが、とにかくそこには真理があるように思われる。あるいは、錯覚される。

 ブレグマンの信じる真理はわかりやすく、「世界はいいようにみればよくなり、悪いようにみれば悪くなる」というものだった。この真理を可能なかぎり証明するべく、ブレグマンは科学的なアプローチをおこなった。現実世界において機能している現象にいかに合致する理念であるかを語り、現実のなかで証明していく。

 一方、小説家はやりかたが異なる。小説家の手順は虚数解を求めるようなもので、みずからの信じる真理が適用される虚構の世界を、まるごと構築してしまう。現代社会が舞台であろうと、異世界が舞台であろうと、作家の信じる真理が反映された世界が作られて、そのうえで真理を語る。真理が適用された世界で語られる真理なので、それはたしかに真理として機能する。が、そもそもが虚数である。

 自然を通したものか、虚構を通したものかという違いこそあるが、ブレグマンと作家は、最終的な目的にはかわりはないのだと思う。もっとも、これはブレグマンのみならずさまざまな学者に適用される話ではあるが、ブレグマンは唱える真理の内容が内容であるため、とくにその傾向を強く感じた。彼は信じるものがあり、その証明のために科学を介して、さらには不断にセルフチェックをおこなっている。

 だからこそ、ぼくはブレグマンの論にぴったりと張り付く、いくつもデータとしての科学的証明を読みながらも、ブレグマン自身の良心的な世界観を好きになることができた。好きな作家ができた、というのと同じ文脈で、ブレグマンという著者のことをとても好きになれた。

 以下に彼がTEDトークに出演していたときのリンクを貼っておくので、500ページもある社会学書を読むのはだるいよ~というひとは、ぜひこれだけでもみてほしい。

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