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映画キャシャーン

 実写版キャシャーンを、みた。

 自発的にというよりも、ひとに付き合って野次を飛ばしながらみていた。

 一般的に「こけた映画」「駄作」と評される本作だけど、その反面、一部のファンは肯定的であったり、「この存在を認めなければならない」という謎の実存的なことを言い出す勢力もいる、ふしぎな映画だ。

 故・伊藤計劃先生も、昔のエントリーでこう遺されている。

projectitoh.hatenadiary.org

 いっしょにみたひとたちも、まぁそんなに酷評というわけではなく、むしろ節々を褒めてもいた。それでいて、同時に問題点を認めてもいたけど。

 ではぼくはというと、これを肯定してはならないな、と思った。結局のところ、意気込みであったりとか、美学がなく、ゆえに卒がない凡作よりも、少なくとも美学の感じられる駄作を評価せよという論説は、詭弁であるのだと思う。

 当時の映像技術にしてはがんばっているものは、それも当時にしてはという話である。「思ったよりもよかった」から発進して肯定してしまう文化は、個人的には受け入れがたい。

 この映画はシンプルに焦点を間違えている。ほかにもいろいろ間違えているが、少なくとも焦点は間違い倒している。主人公とヒロインしか視界に映らない視聴者は問題あるが、それでも主人公たちというのは大事な存在で、ないがしろにしていいということにはならない。

 いや、わざわざ20年前の映画の問題点を挙げつらねることもないか。

 ところでふと思ったけど、ぼくのようにインターネット通話大好き人間からすると、「ひとと野次を飛ばしながら無料で観た映画」というのは、ひとりで暗い部屋で黙々と鑑賞した映画とは、そもそも消化器官の通り方が異なる。だれかと観賞するとそれだけで最低限のおもしろさがあってしまうというのは、楽しい反面問題のある行為だと思った。