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いろいろ

 記事タイトルとかいう概念がない。

 たしかはてなってアプリとかスマホのブラウザでみるとテーマ性が消えて記事タイトルだけ出ている状態だったはずだからだれかしら閲覧者に気を遣うならタイトルはわかりやすくしなければならない……んだけどね。

 最近ネットでみたものについて。

 

AI

 NovelAIが公開されてからたった数カ月でここまできてしまった。

 絵だけではない。AIが小説を読んで内容を理解して感想を書いてくれるサービスとか、一枚絵どころかアニメーションとか動画を作ってくれるサービスとか、自分の顔写真を登録したらウェブcam上で話しているようにわりと自然に動いてくれるサービスとか、なんかもういろいろと出てきている。

 絵みたいなぱっと見でわかりやすい領域はここ1年、もう少し踏み込んだ領域は3年くらいでだいぶ侵食されるだろうなと思う。もしくはもうちょっとはやいか。絵はアナログからデジタルに移行していったみたいに、ある程度AI補助をやりながらバシバシ生産していくひとが増えるのだろう。

 ぼくは文章製作でいってもAIは成長速度がはやいと思っている。なんといってもインプットの量と試行回数が違うので。娯楽分野も、簡単なものならすぐに作ってしまうと思う。そして娯楽小説におけるAIの進出は、可能ならばどんどんやってもらったほうがいいとも思っている。テンプレートに沿って見たことのあるキャラクターが聞いたことのあるセリフしかしゃべらない小説しか書けない人間は小説家ではありませんでしたということで、ある程度自然な淘汰の一環とみなせる。ようは試されるだけなのだと思う。

 文章領域よりも絵画のほうがスピードがはやいのはたしかだろう。そしてそれでいうなら、新興の絵師はかなり心情が厳しいだろうなと思う。よそと比べずに自分で自分のよさをわかって、自分の成長を楽しめる人間でなければ、なかなかこれまでと同じ水準ではやっていけないだろうなと思った。

 なお、こういう意見もある。

 人間による人間の模倣は盗作ではなく、機械による模倣は盗作とするやりかたで商業は現状維持できるのだろうか? つまり、現代のラッダイト運動が起きるか? むずかしい話だ。同時にメリットもうしなわれてしまうし、そもそも法整備によって技術革新が制限できるケースはかなり少ない。法律は遅い。さらにいうなら、かなり悪質な盗作をしている人間が実在しているが、そういう人間の悪行に歯止めがかからなくなる(現状ですでに歯止めがかかってないだろって? それはそう。「売れるから」という直情的な理由で倫理をないがしろにしているから最終的には自分の首を絞めることになる。さらにいうなら、それを売ることによって「だれ」が「なぜ」幸福になるのかを考えられない人間のビジネスはべつに終わってもよい)。

 ちなみに、ぼく個人でいうとAIにあらすじを考えてもらって、自分で適宜変更しながら本文を書くというのはやってみてもいいと思っている。たぶんライトノベル業界でも、なんらかのかたちでAIを利用したことを宣伝塔にして売ろうとする話が近く出ると思う。

 アマチュアの領域だと、インターネットで公開しているライトノベルの表紙を人間のプロに頼み、挿絵はすべてAIに作らせているものなどはすでにある。

 

 インターネットの気色悪さは止まるところがない。

 終わりなき日常、および終生をインターネットで過ごすことにした距離感崩壊男たちの対処療法は「かまわないこと」だといえる。インターネットでガス抜きがされている以上はオウム化しないだろうという唯一のメリットだけを信じて、とりあえず放置していく。それしかないんじゃない?

 20年後、かれらが50歳60歳の怪物になったとき、だれが骨を拾うことになるのかはわからないけど。

 

 クソでか溜め息案件。

 ロイターがあれだけ抜いてくれていたけど、日本のお家芸は「今さらやめられぬ」だからたぶん加速が行き着くところまで今さらやめられぬのだと思う。

 というかたぶんどっかの冬季でまた同じことやるんじゃないのか。

 

 わかる