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kokoha tekitou kousin blog jayo

厭世しろ

 SNS、とくにツイッターを見ていると無限に大衆の愚かな部分が目につく。思うにツイッターが自分の構築したデッキだけ見ることができていた時期はまだマシだったけど、今のように強制的に外の世界に視界を向けられるとなるとストレスが溜まるのだろうと思う。

 人間には無自覚でいられないと困る事象がいくつかあって(たとえば自分がいつかかならず死ぬという事実であるとか)、そのうちのひとつが大衆の愚考ぶりなのだろうと思う。つまりニュースを見ていてたまに信じられないような事件が起きるとか、知り合いの知り合いがすさまじくバカなことをした話なんかを又聞きにするぶんにはいいんだけど、たんに道行く人、自分の周囲を占める名前も知らないモブたちが愚かしいのだと知ることには耐え難い。そしてSNSはそうした領域を暴いていると思う。

 結局人間は人間の考えていることなんて知らなくていいのだろうなと思う。

 実写版ワンピースを見終わって、視聴済み勢と話をした。尾田栄一郎のオリエンタルな粋の概念がごっそりなくなっているという話はもちろんとして、あれが欧米社会に生きる人間たちの解釈したワンピースなのだとしたら、ワンピースという漫画が国内規模に比べて海外展開が数枚落ちている状況に納得がいくような気がする、という話もした。欧米人が理解できる感動とは、優しい白人が腹を空かせた黒人に飯を食わせることくらいかと勘違いされても怒らないくらいだ。

 ぼくは顧客満足度が94%というのがシンプルに悲しかった。でも一般的なお客さんはこれでいいんだよな。ネットフリックスは脚本を捨てようともお客さんに満足してもらえるラインがよくわかっている。