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劇光仮面

よそ向けに書いていたけど途中でやめたのでブログに供養

 

 人と漫画の話をするときに、よくぼくはこう言ってしまう。
「トリコでいうところのフルコースが埋まってしまったから、今はもうあまり漫画を新しく読む気になれない」
 これは老化の一種だと自覚している。が、事実として現時点、そうなってしまっている。バトル漫画ならアレ、ラブコメならアレ、ファンタジーならアレ、といった具合に(もっとも、ぼく自身はそういうジャンル分けは好きではないので、実態はこういう分け方ではないのだが)。
 あるいはもっとわかりやすく言えば、自分のなかのサンプルが増えすぎて、過去の名作を超えるような漫画に出会える確率が下がっているから、ディグるのが大変で億劫、という話なのかもしれない。
 そうはいってもおもしろい漫画にはたびたび出会う。最近だと「これ描いて死ね」などは本当にすばらしい傑作だった。

 ともあれそういうたぐいの老人であるので、同じ老人と会うときは昔話をよくする。ぼくのいる界隈といえば隙あらば「シグルイのラインスタンプを作るならどのシーンを取るか」という話ばかりするくらい、シグルイが好きである。
 シグルイの魅力について今さら話せることはほとんどない。語り尽くしてしまった。


 山口貴由先生といえば、現在は劇光仮面を連載されている。
 完結したらまとめて読もうと思っていたのだが、最近、今が読み時だという話を知り合いに聞いたので、kindleで購入した。

 で、読んでいる。

 とてもおもしろい…………。おもしろい。これだけ語り部がうまいと話の縦軸がなくても読者ってついてこられるんだなというなんの参考にもならない力技をみせつけられている。

 ともあれぼくがいちばん感動したのは、内容以上に1巻最後のあとがきだった。

 仮面について山口貴由先生が述べている。

 これが詩のような名文で、かつ視点がすばらしかった。ほんの一部だけ抜粋する。

 

「臆病者の素顔を。

 仮面をつけた臆病者を卑怯者と呼ぶ。

 

 しかし仮面のもたらすものは正体の隠蔽にとどまらない。

 仮面には物語がある。託された行動様式がある。

 

 中略

 

 人生の主役が自分自身であることを知る芯のある者には難しいだろう。

 捨て去るに惜しい事故など持ち合わせていない者こそが

 仮面を受容するための空洞を用意出来るのではないか」

 

 近年まれに見る、いい文章だった。漫画としても一級品なので、ぜひみなさまには読んでもらいたい。