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kokoha tekitou kousin blog jayo

日記154

・運動

 運動したい。ので、ある程度している。のだけど、困っている。というのも午前中に運動すると疲れてそのあとの時間ずっとぼーっとしてしまうからだ。どうやら自転車って疲れるらしい。でもあまり夜に乗りたくはない。

 理想は朝バシッと走って、以降は仕事をがんばるという感じなんだけど。なかなか理想どおりにはいかないものだな。

・プロット

 文筆業の都合でプロットやあらすじを提出しなければならないのだけど、困っている。ぶっちゃけて言うと、ぼくはプロットが嫌いだ。本当に嫌いである。というのも、プロットなんてものを作るから小説がつまらなくなると思っているからだ。

 より厳密にいうと、プロットを守ろうとするからつまらなくなると思っているからだ。小説の中身というのは、いざ原稿に取りかかって、(正しい言い方なのかわからないけど)原稿の言っていることに親身になれてから、初めて内容に想像がつくものなのだ。つまり、原稿に取りかかる前に用意するプロットには、実がともなっていない。原稿に取りかかる前に想像可能な範囲なんてたかが知れているので、ようは意味がない。

 だから、プロットには価値がない。おおよそこういうことが起こりそうだな、と思っていることや、これを採用しなければ話が動きようがないという骨子の部分を整理しておいたり、覚書をしておくという行為には、勉強のメモと同程度の価値があると思っているけど、起承転結をばっちり決めておくという行為は、やればやるほど無駄だと考えている。

 なのだが、それはそうとして出版の手続きとしてあらすじは求められる。商業行為である以上手続きは免れないので、そういう考えを持って行動しようとするとなると、こちらでうまく処理するしかない。

 つまりどういうことが起こるかというと、本文をある程度書いてからあらすじを用意することになる。本末転倒もいいところだ。しかもその状態であらすじにダメ出しが入った場合、せっかくの本文が消えていくことになる。かりに自分がそれでおもしろいと思っていても消える。

 謎の手続きだ。が、商業には謎の手続きがつきものである。

・原稿

 文筆業にまじめなきもちであるため、Aの原稿を書きながら、Bのプロットを考えるというかたちになっている。Aの原稿は、たぶん作家としては取りかかっていておもしろい部分に差し掛かっていると思う。なんとかパーツがちりばめられたので、うまく嵌めこんでいくフェーズだ。

 でもおもしろいと感じる以前に大変だと思っている。逆にいえばここをミスるとやばい。あとから修正が生じたときに致命傷となる量を直さなくてはならなくなる可能性を秘めている。そして現段階でフレキシブルに方向が決められるように遊びの部分を持たせすぎたので、すでに戻って直す必要性を感じている。

 そして字数の問題がますます現実化している。頼むから長くならないでくれ……。

 Bの原稿、というかプロット。あきらかにこっちからやったほうがいいんだけど、Aの区切りが悪すぎてうまくいっていない。こういう状態になるのを避けたくて3月中には仕上げるとかなんとかのたまっていたんだけどな。

 全然うまくいかないっす。