lokanikki

kokoha tekitou kousin blog jayo

文句

 だいぶ前からある文句なんだけど、2023年にわざわざ小説などを書いている人間の多くは、わざわざ金を出して小説なんか読まずとも、無料でいくらでもおもしろいものがあるという現代の常識に気づいていないか、あるいは気づいていながら見て見ぬふりをしているか、そうした風潮を強く感じる。

 ぼくからするとスト鯖が無料なのにわざわざキャラ萌えの小説を買うというのが本当にまったく意味がわからないし、売っているほうもどういう意図でやっているのかわかっていない。

 肝心なのは、無料でこれだけおもしろいものが転がっているという事実を知りながら、そのうえで「でも俺の書いたものには金を払う価値があります」と言い切って提供することだと思う。つまり、あの葡萄のすっぱさを知っているかどうかだ。同じ市場のほかの商品の存在を知っているかどうかだ。「おもしろい」の数値をお前の基準で測り、その結果、これならば差額700円出してもらっても問題ないだろう、という検分の過程を踏んだうえで提供できているかどうかだ。

 これは単純に火力の話でもある。おもしろさの火力。

 スト鯖を見るよりも現状流通しているエンタメ小説の平均値を読んでいるほうがおもしろいと思っている化石みたいな層がおもしろいですと言い張って繰り出してくる小説がおもしろいわけがないという、そういう火力差。そのおもしろさの数値はインフレする前なんだよ、昭和のレートなんだよ、もうとっくに火力が足りてないってわからないんか、というツッコミが入る。

 ぼくは、(一応)プロになるくらいには小説が好きで書いている人間の、小説以外のコンテンツに目を向けられない視野の狭窄さが昔からかなり苦手で、小説以外のさまざまなコンテンツと比較して、おもしろさの相場というものを理解したうえで、それでも最終的にもっとも手続きがめんどうな小説に戻ってきたいというのなら、そこではじめて小説を書いてもよい、と思っている。

 ゲームは起動すれば手続きは終わりだ。小説はそうではない。小説は受け手側の演算装置を借りて描画していく必要があり、手続きとしてもっともめんどうな部類になる(だからこそ小説は死滅してはならないともいえる)。

 起動すればあとは楽しめるだけの無料の神ゲーたちに向き合って、彼我の価値の差を比べ、おもしろさの火力差を試算したときに、それでもお前が書くエンターテインメント小説に数百円の価値があると思うなら、そのときに初めて出してくれ。ぼくたちが中学生だったころとは常識が違うんだということをなぜわざわざ口で説明しなければわからないのかが、本当にわからない。