きょうはさっき本を読みながら寝落ちしてしまっていた。
ウィトゲンシュタイン解釈で、小説に言及する部分があった。論理的原子論の部分。
世界と照らし合わせて真ならば意味のある名辞、そうでなければ偽。これを踏まえて後期ウィトゲンシュタインの問題は始まる。たとえば小説や意図の表明、挨拶などの言葉の配列はどうなるのか。「できるならば事実を正しく記述する真なる文を作り、さもなくばせめて事実を誤って記述する、有意味ではあるが偽なる文を作ること――」
これにかんするコメントは差し引かえるとして、永井先生自身の経験がよかった。
「私の経験から言うと、出版する予定で書いた原稿がなかなか活字にならないのは嫌なものである。その大きな理由は、公刊されないうちは、書いたものから自分を切り離せない、つまり忘れて自由になることができない、ということにある。」(ウィトゲンシュタイン入門p43)
公刊されないうちは自分の手を離れない! そのとおりだなと思った。はやく手放して、自分のなかから関係のない領域にいってほしいという主張はものすごく理解できる。
なお以下は飲茶先生がウィトゲンシュタイン入門に言及している部分。自分用ブクマで置いておく。
(飲茶先生のブログ、異常者に毎回コメントされていてかわいそうだなと思った)