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kokoha tekitou kousin blog jayo

また脳のレベルが落ちた

 最近わりといろいろやったはずなんだけどいざなにか更新しようというときに思い浮かぶものがない。記憶力がまた落ちたなと思う。

 思い出せる範囲で書く。

 アニメが切り替わったのでけっこうみた。もう20年も前だけど、東浩紀が「萌えアニメとは軽度知的障碍者を愛でるようなもの」という旨の発言をしていたのがそのまま刺さるようなものが多かった。

 昔、アニメをみるような人間が変わり種ばかりだったころはまだよかったけど、こういうものが世間に受け入れられてスタンダードになっていくと問題があるだろうなぁと素朴に思った。人間って20歳30歳とかになってもまだ人格形成がされていく時期なわけで、つまりオールウェイズ被影響体なわけだけど、ぼんやりと画面を眺めている層に臆面もなくこういうの提示していくのってどうなんだろうね。まあ知ったこっちゃないって感じかな。

 9月刊がそう遠くなくなってきて、ってことはまた1年が終わりに近いじゃんということで恐怖している。時間恐怖症。

 カバーイラストの完成体が届いて感動した。これは宣伝にもならないし自分で感想を消化するけど、今回の絵はとくにスルメの気質だなと感じた。時間をかけて鑑賞すればするほど納得を覚えるというか。沈着していく絵、という表現があう気がする。じつにおみごと。公開できるときが楽しみ。

 しかしこういう絵が描ける人間は、小説を読んでいても写像の作り方が根本的に違うんだろうなと思わされる。ある意味では著者よりも鮮明なものがみえているのだろう。だからこそいただいたあとにこちらも直せたり、あるいは次の原稿に反映できる部分があり、めちゃくちゃいい影響である。

 積んでいた本をちょいちょい読んでおり、知り合いの本にも手を付けた。ものすごくおもしろい。説明責任から逃れないで書かれた本はえらい。結局、説明から逃れないというのは、すなわち誠実さと真摯さがあると言い換えられるのだと思う。人間は誠実なほうがいい。