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勝ち続ける意志力

 プロゲーマーのウメハラさんの「勝ち続ける意志力」、同じくプロゲーマーのときどさんの「東大卒プロゲーマー」を読んだ。

 順序的には逆で、ときどさんのほうから。

 どちらもすばらしい名著だった。

 読みながら適宜メモを取っていったので、じつは総括として書くことはそんなにない。ただしぼくなりに書評というかたちで価値に言及するなら、この2冊はひとつのCDのA面とB面のようなもので、あわせて楽しむのがよいだろうと思った。

 前提として、両名には親交がある。世代的にも近くて、ともに日本初のプロゲーマーと2番目のプロゲーマーだから、そういう意味でも相関性がある。ときどさんの著作のほうに出てくるウメハラさんは、どこか悟りを啓いたような浮世離れした人物として書かれるが、ウメハラさんの著作のほうでは、彼もひとりの人間としてさまざまな懊悩を抱いていたことが吐露されている。

 そして考え方と経歴が真逆なのに、言及していることの本質は似る。ときどさんが副題として選んでいるように、情熱がすべてのみなもとであるという話だ。両名には、まず身体のなかに燃えるべき情熱があり、つねにその矛先を求めていた。その矛先が結果としてゲームに向いており、最終的にプロゲーマーとなっただけで、彼らは蓋然的にプロゲーマーになったわけではない。運命的ではあるが、確定的ではなかったわけだ。

 その証拠に、ときどさんであれウメハラさんであれ、ゲームからいちど離れてべつの業界へ行き、そこで情熱を燃やした結果、めざましい成果を上げたという経験を共通して持っている(ウメハラさんの場合は麻雀のトッププロ並の実力を、ときどさんの場合は東大院の研究で国際学会から賞をもらっている)。それがなによりも自分たちの考えの正しさを証明していて、すばらしいと思った。

 ぼくは中庸であると感じた。彼らはどちらも対戦ゲームという勝負事に惹かれ、それに全力をそそいできて、今となってはまちがいなく天職といえる活躍をしているが、それでいて「みなそれをやるべきだ」とは言わない。そして自分たちの選択が完全に正しかったとも思っていない。あくまで自分たちの生き方としてこうならざるをえなかったという事実を語っているだけであり、生き方の真理を説こうとしているわけではない。

 それでも、情熱がすべてに勝るエネルギーだということはたしかだ。誠実とも真摯とも取れる主張内容は、紆余曲折を経て、今は真っ当な自己肯定をしているプロフェッショナルの言葉として、ストレートにうつくしかった。

 またなにより、ぼくが個人的に嬉しかったのは、両者の言語野の広さだ。プロゲーマーほど物を考えて戦わなければいけない生き物もそうはいないが、物を考えるとは適切な語彙力を持つということであり、ひいては説得力のある言葉を持つということだ。おもしろい/深みのあるひとは、誠実でいい文章を書く。ひととなりが透けるような言葉選びと文章展開に、ぼくは嬉しくなった。

 ※編集者のサジェストによっても変わるだろうけど、ウメハラさんが格ゲーとはどういうものなのかほとんど説明しないまま進んでいくのに対して、ときどさんはどの年代のひとが手にとってもわかりやすいようにゲームの基礎の部分から懇切丁寧に触れていくのは、両者の違いであると思った。またウメハラさんがどちらかといえば感覚的に記しており(そのため、細かい部分では心理描写上の矛盾もみられる)、ときどさんがとにかく論理的に記していくのもみごとな対比だった。

 

 ところで、本の内容とはべつに驚いたこととして、ときどさんの本を読んでおもしろかったという話を母にしたら「そのひと、きっと親御さんにやりたいことを否定されなかったでしょ」と言われた。なんでわかったのかと聞くと、「だいたいそういうものよ」とのことだった。

 ちなみに、そのあとで読んだウメハラさんもそうだった。わが母ながらみごとな推察だった。