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kokoha tekitou kousin blog jayo

寝る前更新

 自分が本当に悩んでいることにかんしてあまり吐き出す場所がないことに気がついた。と書いた瞬間に語弊があることに気づく。

 現実にもネットにも話す相手はいるんだけど、ぼくがある種のことをどれだけ悩みに思っているかということを、ぼく自身がうまく話せないのだと思う。そしてそういう性質の事柄は小説にまつわることだけなのだと思う。

 ぼくのなかで小説というものは完全に俗世から離れきった場所にあり(それは内部において俗世を描写しなければならないという機構とはべつの話で)、俗世の言葉で説明することそのものが、ぼくがおおよそ小説というかたちでわざわざ書いている中身の、そのすべてを矮小化させている。

 これはかなり顕著にあらわれている性質で、わかりやすい部分でいうと、ぼくは言霊というかたちで自作のタイトルやその略称や、キャラクター名を口にすることはほとんどない。シンプルに嫌だからだ。だいたいの場合、「自分の書いているもの」「デビュー作」などと婉曲して言う。昔は文面でもかなり抵抗があったのだが、今はそちらはだいぶ慣れてきた。口で言う言葉よりもずっと遠く感じるからだと思う。

 だから、本当はそもそも現実世界のなかで自分の書いている小説や、小説にまつわることなど、ただのひとことも話させられたくはないのだが、人間とかかわりながら、プロジェクトというかたちで進めるとなると、当然そういうわけにもいかず、しかたがないので断腸の思いで口にすることがある。

 といった具合の腫れ物扱いであるので、いざこれについて触れるとき、さまざまな悩みと抵抗が生じるのだが、おそらくそれは他人に共感してもらいづらい話なのだろうと思う。

 じつは、ぼくにとって小説のイメージというのは、山奥のだれも知らない廃寺で彫る木彫りの仏像のようなものだ。たぶんこのイメージがあるかぎり、ぼくはあまりにも現状には向いていないのだろうなと痛感させられる。